日本×インド「織り織りのうた」師ブッタと再会


2011年3月11日
日本の一部が崩壊しました。

崩壊について思いなおすことをした一年でした。

世の中は便利になっていくと感じることが、日一日と起こっていたけれど、
ぜんぜん・・・なーんにもなかったんだと。
津波が起こってモノが流されたので、在り在りと「何にもない」と感じるところへと導かれたけど
はじめから何にもなかったんだと、気がついた。

昔からそこ(岩泉)に、
自然と共にあったから続いていた「織り」が
またはじまった。

モノがなくなり、
改めて 絶対に裏切らずに巡っている自然を見つめるようになって
命の存在の規則正しさに、それを美しいと感じて
生きている力に歓びをいただくので
心に描写し、織りに託す。

海(うみ)
山(やま)
虹(にじ)
雪山をイメージした、
全ての音を吸収する「雪マット=瞑想マット」が2012年に入って完成した。
本田技研様の「ふんばろう東日本プロジェクト」から贈っていただく白Tシャツが支えになっています。

雪が溶け始め、枯れた木々の先に、初々しい若芽が息吹くころ
ブッタの本に出ていた「草を刈ってきてその上で瞑想をした」
の一文がわたくしの頭をよぎった。「ふわふわ」だとか「香りがよく」「虫が来ない」「マムシを寄せ付けない」とか書かれている。
「この草の種類はなんだろう」

岩泉の地はどこかインドに似ているので、その草を探したくなった。
そう、インドと日本の昔の風景はどこか似ている。
まして岩泉の暮らし方は、とてもインドに似ている。
岩泉は、本州で一番暑い、高温が観測され毎年最高記録値が、また本州で最も低い気温も観測される場所だといいます。
インドの夏、日中は暑くて暑くて歩けない、そして夜になると涼しくなって人々は外に出てくる。
夏はおんなじです。
「家に籠る」という質をみれば、岩泉の長いながーい冬は、まさに冬ごもりの熊。家にいて、ただじーっと春を待ちます。

水は豊富で清らかで美しく、硬水。
川が多い。
高く、けわしい岩山に囲まる
土地はやせている。岩山に囲まれているためだろう。
今こそ、肥料が発達したが
昔は米が育たない。米の摂れない場所だった。
だから、北インドと同じ、主食は粉文化
砂糖が好きで豆をよく食べ
厳しい気候に耐えるために、刺激物(インドは香辛料。岩手はニンニク)をパワーの元としている。

生活や暮らす環境がやっぱり似てる。

違うのは文化的な発展の部分。
これは人種でしょう。
インド人と日本人の性のちがいでしょう。

岩手は貧乏なので、あるもので、どうにか工夫する力をつけ、より工夫されたモノつくり、こだわりのモノが食においても、道具においても極められたようです。
インドはそもそもの血統に種族がある。役割があるから、それぞれの者の役割が果たされた。
その役割分担ですが、インドではカースト(カストからきた言葉で「種族」の意)、ヴァルナ(皮膚の色)制度といって、私たちの思考範囲を超えた「血統」という流れがあるが、これについて、日本には無いか?というと日本の昔の「むら」や「部落」をみると、インドと同じように仕事でその家を呼ぶ「屋号」というのがありました。

話しをもとに戻します。

いろいろと「似ている」ということでまとめさせていただき
「きっとブッタの瞑想時の草に相当する種類の草が在るに違いない」と、勝手に思いを膨らませていました。

大麻?(ちょと痛そう)
稲?(これも固いし痛そう。ワラのかすが出て散らかりそう・・・)
もち米?(草履を編むのは、ワラでも餅米のワラだそうです。柔らかいとか)
キビ?アワ?麦?(どれも ワラかすが散らかるし、少々痛い。香りも最初だけ)
葦草?(うん。これならいい香り。かすも・・・でるけどワラより少ない。)
まあ、きっとい草のようなモノだったのでしょう。牛の餌にもしたのでしょう。

さてさて・・・
結論がではじめたものの、実際にここは日本ですから、織りの材料として具体的にどれがいいかと実験をはじめました。
い草もワラも、少し細いためかマットとしての厚みが出ない・・・叩いて柔らかくして重なるか?
工夫を重ねていると、
あ〜!コレだ!!
みつけました

みーつけた!
すごい草をみーつけた!!

話題にしてみると、
聞けば聞くほど、不思議な葉。
匂いもとってもよく、その香りは長続きする。
玄関先のお飾りの材料としても使われ、消臭剤や厄よけ、魔除けとして作られ飾られたという。
漬物の蓋として使われカビの防止、殺菌効果があったという。
こんな話を聞きました。「塩漬けのキュウリ、今年は暑くて漬けていた水がドロドロになってしまっ手、あ〜ダメにしたな、と思ったが、この葉を蓋にして一日おいたら、その水がね、なんとさらさらに変わったの」と。
話はまだありました。
畳の葦草を保護する むしろ として、「ござ」や「こおり」が編まれ、い草を包んだといいます。

さあ〜織ってみましたあ!!!!
ついに完成です!
第一号はカワトクに出店します。

草を刈ったり、干したりと、少々手間暇がかかりました。

世界を歩くマットかもしれません?!

合掌

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About 織り織りのうたプロジェクト
三陸いわて被災地から手仕事を! 「織り織りのうたプロジェクト」は被災地の手仕事を生かすため立ち上げられた支援プロジェクト。東京狛江市と岩泉町の女性たちが紡いだ絆。古布リサイクルの裂き織りヨーガマットや甲あて編みが被災地の女性たちによって織られています。

2 Responses to 日本×インド「織り織りのうた」師ブッタと再会

  1. shaun says:

    フェリシモが盛岡のさきおりでバックをつくっていていい感じです。
    http://www.felissimo.co.jp/kraso/v14/cfm/products_detail001.cfm?gcd=648170
    フェリシモは震災以降ずっと支援のために東北のものを売っていて、コラボでなにかできないかなと少し思いました。

    蛇足ですが、「岩手は貧乏なので」をブログにかいちゃうのはまずいかも。都市の人が見ているだけならいいですが、地元の人が見たら誤解します。ネガティブな意味で書いていなくても、岩手にずっと住む人、とくに年配の人は怒る人は怒るし、不信を生じさせてしまうのでは。。。

    • shaunさま
      コメントを有難うございます。
      フェリシモさんには問い合わせを頂いておりました。懸案もありますので状況はお話できませんが、良いつながりが出来れば良いなと思っております。

      私たちは岩泉町の織り手さんたちが、長いこの先どう進めていきたいのか、その意志と希望を第一優先に進めてまいりました。彼女たちの暮らしの状況も絶えず変化していますが、無理をして押し付けた物は続かないものですのでやりたいと声が出たものだけ進めていこうと思います。

      岩手は貧乏。少し乱暴な表現でしたね。言葉が足りませんでした。
      ただ夫も岩手出身、今は岩手と東京の家を往復しております。自分達を貧乏と、自虐を込めて表現でした。震災後岩手の母は「三陸はまた貧乏になったね」と云いました。江戸明治昭和と恵まれない時代の岩手三陸の暮らしぶりは想像以上に厳しいものでした。自分達は貧しいという状況がわかっているから工夫と備えをし知恵を生んで来たのだと思います。

      都会の経済的な物差しでは貧乏暮らしかもしれない、でもそれを笑い飛ばすような本当の幸せの価値をたくさん持っている。その本当の幸せの力を信じる人達が「織り織りのうた」を織りはじめ、応援していただいているのだと感じます。

      ありがとうございます。お心寄せに感謝いたします。

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