Photo by Satoko Yaegashi
山から川へ、そして海へと続く長く大きい岩泉町。
山々は枯れ木の梢に新芽が息吹きほのかな淡いピンク色に、
川は水量は増して小魚が出てきたのでしょう…水辺には鳥が戯れています。
海は変わらず雄大で、本州最東端にほど近い小本の海から昇る陽は、一日一日と待ってましたとばかりに勢いよく昇ります。
本当に美しい自然の営みとその姿です。
この当たり前のように在る自然に全ての教えがあります。
4月27日小本へ。
支援+今度は復興の日々のはじまり。
これまでが今日を与えている…と、「三陸のともしび」を思う。
被災地仕事支援プロジェクトの【織り織りのうた】の本部(古布受け入れ、制作作品発信と配信の場)。
【住所】
〒027−0422
岩手県下閉伊郡岩泉町中島字長内
小本仮設団地4−8
宛名 三陸のともしび
【電話】
まだつけていません。お急ぎの方
「三陸のともしび」への御用
080−5699−8808
プロジェクト[織り織りのうた]への御用
080−5464−1050
上記住所では、織りの材料となる古布を募集しています。
どんな状態でもありがたく頂戴し、皆様の貴重な、思い出深い古布をリメイクし息を注ぎます。
古布であれば、毛糸、タオル以外はリメイクできますので、穴が空いていても結構です。お送りください。
特に織りの素材として適当なのはTシャツ素材(ジャージー素材)やネルです。
時間のある方は、2重になっている部分(袖口・首まわり・裾・縫い合わせ部分)をカットし、生地の状態ですと、大変助かります。それだけでも仕事の一部ですから、手数かけて頂いた場合、この手織りマット制作に関わったことになりますので、ある意味製作者に!
さて、準備。
第1日目(4月27日)
盛岡駅到着。正面の岩手山に挨拶。
手荷物を、駅員さんが助けてくださいました。
岩手県の方は親切だときいていましたが本当に。。。
一日一善を意欲的にすることを呼びかけた2012年ですが、岩手に来ると、こちらがする間もなく、誰かが先にして下さってしまいまして…。すごーくあたたかな思いやりの町。
ナビゲーションのついていないレンタカー。
盛岡から岩泉に向かう道が???
コンビニの駐車場で道を聞いたら
え〜ん(涙)「一緒にいきましょう」と、先頭になって10分以上の距離を一緒は走って下さって。。。参りました。
「せめて、お名前を?」
とききたかったけれど、
聞くことさえできずまま、
「ここを行けばつきますよ」と、去って行った
岩泉に無事到着し「織り」作業場を訪れました。
この新しい場所に移るのは、GW明けでしょうか。
どのように配置しようかと思案中。
いま、岩泉町にある『ウレイラ通り』は町が、町民が工夫を凝らして活性化に向け一団となっています。
町を見護るようにどっしりと宇霊羅山(アイヌ語で「霧のかかる山」)が目の前に聳えます。町のシンボル。山の雪解け水は清水川(しずがわ)へ、町の中を流れ風情があります。
もともとこの地は優秀な文化人の集まる町で、文化の発信地。山々の、大地、美しい龍泉洞の硬水が、穀物を、酒を、酪農を豊かにしたようです。明治乳業が最初に工場を建設したのもこの地。牛乳やバター、チーズなどの開発が最初にされた町なのですね〜。
そう!町興しといったところでしょうか。町の元気は働く場所をつくります。岩泉の元気が被災者を救うのですね。
こちらをご覧ください。
町の真ん中には「横屋手しごとや」が。店内には織物、竹細工、木工品、器など町内を中心に県内の手仕事品がたくさん並んでいます。奥には、築150年を超える大きな蔵を生かして、「てど=手わざ」をミたり聞いたりできる「達人工房・てどの蔵」があります。
[織り織りのうた]も「てど」へ至るか!?被災によって起こったひとつの文化となるといいものです。
作業の工房が、このうれいら通りの中心部へ移動することとなった理由は、こうした町興しの一部に加わることでもあります。
古民家のホコリはらいの大掃除から始まった3月。4月中旬になりやっと完成。もともと織りをされ、我々【織り織りのうた】を力強くサポートして下さった和久石タイ子さんの「うれいら織り」はひと足先に引っ越しを完了させていました。
清水川を眺められる2階の工房の下、1階も紹介しておきましょう。
半分はお好み焼き屋さん「広島屋」。
もう半分は「nadodaano」(などだーの)」です。「てどの蔵 2号店」のよう、若い作家が作る雑貨や小物、古食器、絵本などが並びます。お店の名前の意味も知りたいですね。この「などだーのお」とは話し言葉の中で使われるこのあたりの言葉。オモシロイっ。その話はいらした時にしましょう。