4月1日便『小鳥の賑わい橋』『光の波』虹マット

『光の波』


『小鳥の賑わい橋』

春を喜ぶような元気の湧くマットは虹マット。

3日、杉並区のS.Eさんへ出発。

小鳥たちの賑わいの歌が聞こえてくるような『戯れ橋』(虹:ランダム)

『光の波』と名付いたのは虹グラデーションマット。
鮮やかさの中にやわらかな揺らぎを感じました。


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黙祷

11日の夕べのヨーガ(15時〜)は
黙祷で始まるでしょう。

あの日以来
黙祷が祈祷を聞く時間であると感じ、
黙祷は日々そのものだと実感した。

どんな、どんな瞬間も贈り物で、愛おしい刹那。

「生きる」ことをするとはなんだ?と思い
同時にありありと「生きている」についてを瞑想した。

君は「生きる」をしたいか
それはなぜだ?
あなたはだれ?
どこに生まれ、
いまどこにいるのか?
なんという名で
何がしたい人なの?
何をするというのだ?
それをするのか、それともしないのか?
なぜするか、それはどうだ。
君は誰だ?
なぜ居る?
それは願いか?
あなたは何を希、それをするか・・・
・・・
・・・
長い時間
黙祷という行為の内に強い祈祷へと流れて行くのを
待ち、幾度となく見つめた。
そういう機会を
自然に、ありありと与えられたのが3.11でした。

大いなる天に空に、大地に合掌礼拝

讃えたい気持ちを!


讃えたい気持ちをどう表したら良いのでしょう。
祝して何か🎀をしたいけれど、何が喜ばれるのでしょう。

オモトで喜ばせていただいたのは
みな「自分のもの」で迎えてくださったり喜ばせてくださったこと。
私が訪れれば自慢の作物や手仕事のもの、そして久米子さんもいつも種から育てた野菜や豆と行った農作物や海で夫様と棒に巻きつけて、箱メガネで、わらじを履いて岩の上を行き来して獲った海産物をくださいました。そして、この素晴らしい織物があります。

私が作っているものって、日々積み重ねていることってなんだろうと思う。
梅干しも手つくりしたのがいっぱいあるけれど、梅は買ったものだ。自分の庭で育てたもんじゃない。そうやって考えると、私たちには自身を象徴するものって一体何なのでしょう。

被災から10年。
大津波に大自然の凄さを見、
あっけない崩壊を見、
人々の動きを見てこられた織手の久米子さん
頼るのではなく、自分でなんとかしなくてはならないとただただ仕事をされた。
怖い海ではなく、それでも恵の海だと抱きしめ、
夫様が心の病になっても漁の再開を夢見て準備され、再び始めた。長い時間がかかった。

仲間がしようがやめようが、
織ることは当時送ってくださった物資や古布へのお礼であるし
改めて知ったこの土地への歌だと手を休めず、むしろ楽しんでいらっしゃいました。
そして、昔から大好きだった手仕事が私のできることとおっしゃっていた。

いま、コロナ感染症で多くの人々が恐ろしいと不安になって右往左往し
職を失い落ち込んだり
あるいは新たな職を状況に合わせて人々が生きていますが・・・

私は、どんな状況下であろうと、
周囲がどんなにさまざまに変わろうと、変わらない久米子さんの毎日を見て、その不動で一心の姿に、ただただ驚異し、励まされました。
感じるままに、思ったことを貫ける姿、合掌礼拝のみです。

サポートの就労支援のように始めたけれど、最も救われたのは私の方だ。
同様に、織りものの仕上がりや質よりも、その意気に惚れた人、励まされた人、讃えたい気持ちになった人がほとんどだと思う。

さて、はて。。。
どのようにしてお讃えして差し上げよう。
感謝の気持ちでいっぱいです。

これを読まれた皆さんなら、何をお送りしますか?
どんな風にお讃えして差し上げたら良いのでしょう。。。

仲介人 

3月1日便『霜の野道を歩けば』(山マット他)

『清澄』

『霜の野道を歩けば』

2月には山マットはこちら
私たちは、作品が織り上がると名付けます。
3月のマットは本日翔び立ちました。
海マット『清澄』(品種:海マット)
山マット『霜の野道を歩けば』(品種:山マット)
の二枚。
広島県広島市高野町のN.M様は、購入により支援になればとメッセージをくださいました。
何よりの力です!

海マットは淡いピンクや水色でコロナ禍の心も洗われるようです。
山マットは、渋い色目の仕上がりでした。所々の白が霜を思わせました。歩けばその柔らかで優しい音が聞こえてきそう!

いつもみなさま、古布をお送りいただきありがとうございます。


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10年を迎える三月を前に。

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来月で震災から10年。私たちが活動を開始したのは同年の7月。
7月から10月までの三ヶ月間で十数枚のマットを練習としており、そして11月に販売を開始しました。

オモトは三陸の小さな漁村地区。ですから多くの家屋被害や、人が亡くなるという数値的で示す記録的大災害にはならなかったのですが、実際の津波の高さの記録を後に見たとき、最も高い津波が襲った地区だったことを知りました。そして死亡者は一名だったのですが、死亡者数を抑えられた裏には前日に避難訓練をしていたという話を聞き、オモト地区の声掛け合い(愛)結束力の話には驚くばかりでした。

そんな小さな地区は、被災前は質の良い牡蠣や雲丹、昆布やワカメの流通が盛んで有名でした。
私たち夫婦はふたりで始めることを決意しました。
そして楽しく織る方があるなら、ケアを始めたのだから続けることだとも思ったのです。

当時、被災後二週間たらずの被災地に立った。壮絶な中に立たせていただく訪問をし、しっかり見たからです。
そして、のちに強く思った決意の二つ目。織りを楽しむ方たちのために続けること。
数々のプロジェクトが発起したり、多くの人が被災地にやって来ましたが、一日のイベンや数回。定期的な活動もありましたがいずれなくなっていくものでした。
仮設住宅に暮らさせていただいたこともあり、訪れた方々を見送る姿を何度も見ましたし、いらっしゃる方へ、むしろ配慮している心も知りました。
仲介役は織手さんが「やる」という限りサポートしようと決めました。

さらに時が経って感じた決意の三つ目。
手仕事の美しさ。清らかさ。優しさを知りました。
都会に暮らしていれば中心は自分や家族ですが、ここで学んだことは中心にあるのは自然ということ。
天気や四季に左右される仕事だからこそ、自然への礼がありました。

仮設住宅に入り、自分の土地や家についての先々の不安を、国や町の決定を待つ姿。
心の病になってしまうのが普通と思えました。
仕事に見合った広く機能的な家から小さく最低限の仮設住宅に移り、仕事は代わり、あるいはなく、
新鮮で季節の恵みをありがたく頂戴する食卓から、使ったこともない電気キッチンでの食になり、
なかったコンビニが登場し、便利だから利用する。身体が悲鳴をあげない方が不思議です。

組織的な活動に決してしない。売上げを出さない(全て織手さんと材料費)。クオリティを目指さない。品質などより良くと課さない。
手仕事であること。土地でできること。双方が生きる仕事であること。
最も大切なのは、仕事をする心の安らぎや喜びで、それが励みや力を生むという循環を損ねてはいけません。
楽しく織ること、そして続くことです。

大変な事態ばかりが続いたのです。この土地にいて、家族がいて、仕事と共に生きてきて。
可憐なスミレのような謙虚で美しい織手さんの力は美しいものでした。
交わした言葉は少ないですが、全身から、作品から、織手さんの姿勢である心を感じてきました。

小さな活動ですが、
今でも、たった一人の被災者の方が(かつては数名でしていました)、いまでもこうしてかつて想像もしていなかった「織りの暮らし」が続いていること…。
楽しく日々を歌うように織る。
織りは多くの人の歌となる。
また、織手さんの歌う手や心は風のように軽く通り、次の活動への意欲に。見る家族や周囲も楽しい気持ち。
そして今でも古布を寄付してくださる方あっての合唱、合奏。
すべてによって奏でています。

日本人の助け合い(愛)心によって生まれる力に感動するばかりです。


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色葉が染まった日


『織り織りのうた』の家族で『色葉うた』が在ります。
『色葉うた』は、被災から3年後に自然に始まりました。
土地の樹木と清水と古い白Tシャツで織ったマットを染めたマットです。

当時のことはこちらをクリックで、遡ってお読みいただけます。
そして
先日呼びかけをした樹木染🍎マットがS.A様へ!
届いたら、ヨーガと共に奏で合い(愛)協奏曲を奏で、ますます染まるでしょう〜。末長く。


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2月1日便

山(やま)マット『山ぶどう摘みに行くよ』


夏に『想い橋』と名付いた虹マットをご購入くださった
中野区のE.H様
ブログに掲載した『生き模様の森のうた』をみて
素敵です!と
似た雰囲気の「山(やま)マット」のご注文をいただきました。

二ヶ月待っていただき、先日織り上がり、ほぼ、同じに織り上がりました。

今度のマットは、鮮やかな紫が所々に散り貼って・・・
また、オレンジや赤、ピンクなど、実りいっぱいの山のようで
『山ぶどう摘みに行くよ』と名付きました。

ヨーガをなさる方なのかしら・・・
裏地の追加ご依頼をいただきました。
この裏地で、しっかりとしたマットになります。
まったく滑りません。

私たちは、織り上がりの作品に、こうして名前を付けていました。

今年で10年目を迎えます。
みなさまからお送りいただく古布あって織りを続けることができています。

ありがとうございます。

裏地付:ヨーガ実技をしてもまったく滑りません


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【色葉うた】樹木染めヨーガ・マット

『色葉うた』の三色 (染)花巻 武田悦子氏

一番上段のマットが一枚手元にあります。
ご希望の方はご連絡ください!

現在、ヨーガのマットはビニール製がほとんどですね〜
希望を満たしてくれる豊富なカラーも楽しいです。

織布の国インドではむか〜しから、こうした手織りのラグが使われいました。
狛江のヨーガ教室「トリャンバカム・ヨーガ・センター」では、この手織りのマットを愛用し、応援しています。
このプロジェクトの発起時に、募金や物資の支援で支えてくださいました。

モノへのこだわりには終わりがありません。これからもどんどんと高品質なモノが開発されるでしょう。
ずっと使うモノだから・・・
求める者がいて、願いを叶えてくれる者がいる。その間に生まれたマットを使ってみませんか?

ご希望の方はご連絡ください!


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1月15日便 色葉うた



千葉県浦安市のT.H様へ
15日便が主発。
早速お電話をいただきました。

「今届きまして、鮮やかな染めの色に感動しています。
織りの感じに感激しています。」
「もう、半世紀前になりますが、街で見た織りや染めがとても印象深くていつも頭の隅の方にあったんです。それがこうして届いて、嬉しいです!」

と。
思い出を私たちは過去の古いことと思っています。
いまにはないから、思い出の写真とか関連グッズだと言って大切にとっておいたりします。

わたくしは、ふと思うのです。
いつでも、どこででも思えば一瞬で蘇る!
思い出というのは実は・・・ない!と。

過去は今で今を歌えば
未来へのハーモニーに♪
そういえば
『ハーモニー』という歌がありましたね(笑)


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色葉うた

『色葉うた』の三色 (染)花巻 武田悦子氏


『織り織りのうた』の家族で『色葉うた』が在ります。
『色葉うた』は、被災から3年後に自然に始まりました。
土地の樹木と清水と古い白Tシャツで織ったマットを染めたマットです。

当時のことはこちらをクリックで、遡ってお読みいただけます。
そして時は瞬く間。
一時休止でしたが、いろいろ、いろいろあって……、
来年は希望があれば復活の兆し。
すべては、古Tシャツのご寄付や、織手さんの健康な心、染手さんの寛き心といったバランスの調和あってのことですが。

クリスマスに届いたこのマットをみてください。


この度、きっかけをくださったご注文者は浦安市の方です。
裏地を付けるのに10日いただき、新年一番の配送となります。

さて、復活のストーリー、お時間ある方はお読みいただければ嬉しいです。
生きるということは、いろいろあって学ぶこと。
この度も多くの成長をいただき、感謝します。

普段は羊の毛を染め上げる叔母、岩手の染めの匠と呼ばれる工藤厚子氏ももうそのお歳はおいくつでしょう。それでも次なる作品は毎日の中から生まれるとか💘

私たち仲介人は、
染めを学びながらお手伝いに訪問させていただいて、何年やったのでしょうか。
十数回と数えられる程度の機会でしたが、それも遠く、遠くなりました。今年は一度も伺えませんでした。
ある程度、自分たちで染められるようになったのに。いえ、その言葉こそを撤回したい気持ちです。染められるようになったと思っていただけで、実際は砂場でままごとして遊ぶ子供のようなで、実際者ではないのです。

材料の樹木はもちろん、豊富な水や大釜、火力、温度はそこへ行かねばできないのですから。どんなにあがいてもできないのですから。
そんなことを自覚していました。
「我々は何でもしようと思うたら出来るように思うとるけれども、実はできない。」
(これはヨーガの大先生、佐保田鶴治先生の言葉)
「していく」ということには「土地」「生まれ」が大きく関わっていて、、、それを改めて深く感じました。教えられてはいたけれど、本でも読んでいたけれど、実感として学び取っていたのでした。

・・・ていたのですが、注文が入りました。
その希望を伺うと、小冊子になるような思いがあるようでした。

お断りを考えましたが、直接は何もできぬ者ですが、それはそれはもう、この活動そのものがそうであり、仲介者だと開き直り、
岩泉の染めの匠こと厚子叔母様のお弟子さんで、編みにおかれては文部科学大臣賞を受賞された武田悦子様に相談を、素直に持ちかけたのでした。

答えは、
一本通ってやってきた立派な方というのは、やはりその応えも、謙虚であるも通って立派でした。
「こういうものを染めるということはないから、きっと良い勉強になっていくものなのでしょう!だからやらせてください!」と。


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