黙祷

11日の夕べのヨーガ(15時〜)は
黙祷で始まるでしょう。

あの日以来
黙祷が祈祷を聞く時間であると感じ、
黙祷は日々そのものだと実感した。

どんな、どんな瞬間も贈り物で、愛おしい刹那。

「生きる」ことをするとはなんだ?と思い
同時にありありと「生きている」についてを瞑想した。

君は「生きる」をしたいか
それはなぜだ?
あなたはだれ?
どこに生まれ、
いまどこにいるのか?
なんという名で
何がしたい人なの?
何をするというのだ?
それをするのか、それともしないのか?
なぜするか、それはどうだ。
君は誰だ?
なぜ居る?
それは願いか?
あなたは何を希、それをするか・・・
・・・
・・・
長い時間
黙祷という行為の内に強い祈祷へと流れて行くのを
待ち、幾度となく見つめた。
そういう機会を
自然に、ありありと与えられたのが3.11でした。

大いなる天に空に、大地に合掌礼拝

讃えたい気持ちを!


讃えたい気持ちをどう表したら良いのでしょう。
祝して何か🎀をしたいけれど、何が喜ばれるのでしょう。

オモトで喜ばせていただいたのは
みな「自分のもの」で迎えてくださったり喜ばせてくださったこと。
私が訪れれば自慢の作物や手仕事のもの、そして久米子さんもいつも種から育てた野菜や豆と行った農作物や海で夫様と棒に巻きつけて、箱メガネで、わらじを履いて岩の上を行き来して獲った海産物をくださいました。そして、この素晴らしい織物があります。

私が作っているものって、日々積み重ねていることってなんだろうと思う。
梅干しも手つくりしたのがいっぱいあるけれど、梅は買ったものだ。自分の庭で育てたもんじゃない。そうやって考えると、私たちには自身を象徴するものって一体何なのでしょう。

被災から10年。
大津波に大自然の凄さを見、
あっけない崩壊を見、
人々の動きを見てこられた織手の久米子さん
頼るのではなく、自分でなんとかしなくてはならないとただただ仕事をされた。
怖い海ではなく、それでも恵の海だと抱きしめ、
夫様が心の病になっても漁の再開を夢見て準備され、再び始めた。長い時間がかかった。

仲間がしようがやめようが、
織ることは当時送ってくださった物資や古布へのお礼であるし
改めて知ったこの土地への歌だと手を休めず、むしろ楽しんでいらっしゃいました。
そして、昔から大好きだった手仕事が私のできることとおっしゃっていた。

いま、コロナ感染症で多くの人々が恐ろしいと不安になって右往左往し
職を失い落ち込んだり
あるいは新たな職を状況に合わせて人々が生きていますが・・・

私は、どんな状況下であろうと、
周囲がどんなにさまざまに変わろうと、変わらない久米子さんの毎日を見て、その不動で一心の姿に、ただただ驚異し、励まされました。
感じるままに、思ったことを貫ける姿、合掌礼拝のみです。

サポートの就労支援のように始めたけれど、最も救われたのは私の方だ。
同様に、織りものの仕上がりや質よりも、その意気に惚れた人、励まされた人、讃えたい気持ちになった人がほとんどだと思う。

さて、はて。。。
どのようにしてお讃えして差し上げよう。
感謝の気持ちでいっぱいです。

これを読まれた皆さんなら、何をお送りしますか?
どんな風にお讃えして差し上げたら良いのでしょう。。。

仲介人