三年ぶりのシンフォニー(その2)

 

ふれあいらんど岩泉に宿泊 

12日、オモトに向かう途中で、ちょうど岩泉町の山側の集落から海側へ向かう真ん中あたりにあるのが「岩泉 道の駅」。

オモトに入る前に今宵の宿の確認に寄りました。 以前、震災と津波のボランティアで数度訪れたときに、ここに泊まっていただいたことがあったからです。

かつて上野から青森間(その後の北斗は北海道まで)を走っていたブルートレイン。今は廃線で走っていない寝台特急です。

その車両は二台しかなく、現在では京都の鉄道博物館に一台と、ここ岩泉に。 貴重な列車を「見学できる」「中に入れる」さらに!「宿泊できちゃう」のですから列車マニアならたまらないでしょう。

そしてこのレアな経験はとてもやさしいべりーチープ価格でした。→ http://www.fureailand-iwaizumi.jp

わたしたちは中を見学し、そして宿泊はコンテナハウスにしました😉

 

そんなふれあいらんど岩泉で二日目の朝を迎えました。

早朝の瞑想が格別だったことはもちろん言うまでもありません🧘‍♀️🧘‍♀️🧘‍♀️ その後、一人そっと押し花をたくさん作りました。

起きてきた斉藤さんは朝ごはんを作ってくれました。ここで齊藤さんを少し紹介したいと思います。

【織り織りのうた】のブログに「織手さん募集!」を掲載したのはいつだったかしら…。 そのブログを見ていてくださった方です。

ブログを見た当時、織物がしたいと思ったが経験がなかったので自身で織物さおり教室に通われとのことでした。 織り作業の全工程はだいたい経験されたところでこちら『織り織りのうた』へ連絡をくださったのです。

「以前、織手さん募集と言う記事を出されていましたが、それはまだ有効でしょうか?」と。

織りがしたいんだなあ〜と、その気持ちが伝わってきましたので、2年前にお会いしてお話ししました。見学したい話が出ましたが、当時はコロナで一向に動けませんでした。

そろそろ季節も良いしいかがでしょうか?とお声掛けし、この旅に至りました。

 

12日 AM8:30 斉藤さん、織手久米子さんと一緒に作業開始〜♪♫🎶

縦糸をたてています

織手久米子さん、斉藤さんへ綜絖へ通す器具を渡す…

さてーー

もっと一緒にやりたかったけれどもさようならの時間。

 

PM2:00 ありがとうございました〜 👋

オモトの昆布やワカメ、ひじきをお土産にもらいました。もちろん織手さんのご主人、健一さんが収穫し久米子さんが加工したお家で採った今年の海の恵みの産物です。🙏 当時五年間も鬱病を患った健一さんは、今ではすっかり回復されて、海と山と向き合う毎日です。

 

盛岡へ向かって2時間ちょっと🚙

斉藤さんは5時過ぎの新幹線で家族の待つ東京帰宅されました。

 

オマケのシンフォニーは、(その3)をどうぞ

織り織りうた ||  | | ||| | | 

三年ぶりのシンフォニー(その1)

オモトの「熊の鼻」展望より


森と水の町 岩泉町へ 三年ぶりの来訪でした。こんなにも時が経ったのですね…
5/12-13 青く澄んだイーハトーブ盛岡の早朝も気持ちがよく 目覚める前から心地よさがわかっていたのか…頬をピンクにして目覚めました。

9時半盛岡を出発 岩泉町の山人へ、海人へ〜 向かいました。

山へ入ればやっぱりスゴかった😊  自然の勢いです。
清々しい気持ちをいただくのですから不思議です。

盛岡から🚙30分走ると本州一の寒冷地 岩洞湖。
車を降りて水辺まで行きました。斉藤さんと写真をパチリ🎞斉藤さんのことはまた後でゆっくりご紹介します。

今回の一番の来訪目的は
織手さんと、織手さん希望の斉藤さんとの顔(手)合わせ。
わたくしの心は早々と勝手に、新しい織手さん誕生か?!と、早くも心弾むシンフォニー。

午後1時 工房到着

織手 久米子さん 春一番のよもぎ餅を作ってくれていました😻😋
山で摘んだ蓬の新芽。餅米から挽いた粉。種から育てた小豆の餡子(あんこ)。「オラが作った材料でつくったよ〜 どうだかね〜!」と、そのお顔の方が甘くて柔らかな饅頭でした(笑)

この日は当時の対談に。
2011年3月11日のこと。その後のこと。



明日12日は朝から一緒に手織りマット作業を一緒にしようと約束をして別れました。

午後4時 わたしたちはオモト海岸を見て(上写真)回りました。
びっくり!

海岸脇に大山になっていたゴミやジャリの山。6、7年はそうでした。その大積みの山がなくなっていました!そして…そこに広がるのは小さな小さな松林。あゝ…昔の黒松林を想い、やさしい風を懐かしんで、祈るように植えられたのでしょう…。

さまざまなある復興の姿。海はすっかりコンクリートで固められ堤防で囲まれました。こうして松を植えた昔ながらの堤防の役目も果たした、完全でないかもしれないけれど、これこそが宇宙の平和の循環への活動だと感じ、見つめました。

2012年3月10日の松林

2022年 一本の残された松が真ん中に、周囲には小さな小さな松林


主人の父の実家のオモト町。
かつては毎年お盆に来訪。
黒松林は海から潮風を心地良い風に変える、いい風が入ってくるんだあ〜🎐
優しい風がオモト地区の家々を通り抜けていました🎐🌊

海があって、砂浜があって、堤防があって、そして民家との間に松林がある。そんな風景の街並みでした。暮らす人たちの先祖からの智慧。

夕暮れ
当時被災者の避難所だった龍泉洞温泉に入りにゆきました。

美しい鍾乳洞はまた次の機会に。

5月12日を修了して
次のお話しは(その2)をどうぞ

讃えたい気持ちを!


讃えたい気持ちをどう表したら良いのでしょう。
祝して何か🎀をしたいけれど、何が喜ばれるのでしょう。

オモトで喜ばせていただいたのは
みな「自分のもの」で迎えてくださったり喜ばせてくださったこと。
私が訪れれば自慢の作物や手仕事のもの、そして久米子さんもいつも種から育てた野菜や豆と行った農作物や海で夫様と棒に巻きつけて、箱メガネで、わらじを履いて岩の上を行き来して獲った海産物をくださいました。そして、この素晴らしい織物があります。

私が作っているものって、日々積み重ねていることってなんだろうと思う。
梅干しも手つくりしたのがいっぱいあるけれど、梅は買ったものだ。自分の庭で育てたもんじゃない。そうやって考えると、私たちには自身を象徴するものって一体何なのでしょう。

被災から10年。
大津波に大自然の凄さを見、
あっけない崩壊を見、
人々の動きを見てこられた織手の久米子さん
頼るのではなく、自分でなんとかしなくてはならないとただただ仕事をされた。
怖い海ではなく、それでも恵の海だと抱きしめ、
夫様が心の病になっても漁の再開を夢見て準備され、再び始めた。長い時間がかかった。

仲間がしようがやめようが、
織ることは当時送ってくださった物資や古布へのお礼であるし
改めて知ったこの土地への歌だと手を休めず、むしろ楽しんでいらっしゃいました。
そして、昔から大好きだった手仕事が私のできることとおっしゃっていた。

いま、コロナ感染症で多くの人々が恐ろしいと不安になって右往左往し
職を失い落ち込んだり
あるいは新たな職を状況に合わせて人々が生きていますが・・・

私は、どんな状況下であろうと、
周囲がどんなにさまざまに変わろうと、変わらない久米子さんの毎日を見て、その不動で一心の姿に、ただただ驚異し、励まされました。
感じるままに、思ったことを貫ける姿、合掌礼拝のみです。

サポートの就労支援のように始めたけれど、最も救われたのは私の方だ。
同様に、織りものの仕上がりや質よりも、その意気に惚れた人、励まされた人、讃えたい気持ちになった人がほとんどだと思う。

さて、はて。。。
どのようにしてお讃えして差し上げよう。
感謝の気持ちでいっぱいです。

これを読まれた皆さんなら、何をお送りしますか?
どんな風にお讃えして差し上げたら良いのでしょう。。。

仲介人 

11月 来訪とお礼

久しぶりの来訪でした。 すっかり山々は冬支度。 葉を落として あとは雪を待っているようでした。

盛岡は肴町中の橋でのレッスン後の来訪でしたから、午後の長い陽です。

娘が来るから〜と(笑) 織手の三浦久米子大母さまは、畑から大根やかぼちゃを採ってきてくださり、迎えてくださいました。 岩手県に限らず、日本の田舎は豊かな大地と美しい清水がいたるところに。 そして、その土地で暮らす人たちはみんな、自然の恵みに感謝して、自然といっしょに暮らしています。 岩泉町のと大地の穀物や麹、豆、野菜などを教室にお土産です。

さて、ありがとうございました! 古布をお送りいただきました。
千葉県船橋市の 丸山さま 
大阪府豊中市の 尾崎さま
東京都目黒区の 仲里さま

活用させていただき、楽しく織ります。
手は思いを乗せる笛
時はメロディー
作品は歌います。

ありがとうございました。


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色葉うた 自然染マット

桑 くわ




円卓


色葉うたは織り織りのうたの姉妹品。
岩泉町の樹木と清水で染めたマットです。

「待ちますので」
と注文をいただきました。

染の物語
真っ白のTシャツをたくさん贈り続けてくださったのは
ホンダ技研株式会社様でした。
定期的にお送りいただく数箱の新品の白Tシャツは当時倉庫にダンボールで何十箱になりました。

それを見て真っ白マットも素敵だけれどもと染がはじまりました。

初めての染。
師匠に教えを請いました。
岩泉町の匠と称号されるのはスピンクラウト主宰の工藤厚子氏(86歳?)
叔母でもあります。

なかなか遠方である染に訪れるのは大変なことでした。
そしてコロナもあり、すっかり染ができないでいました。
弟子の武田悦子氏に気持ちのままに相談してみました。
もう、やめにしようかとも思うけれど、と。
「やりましょう!勉強にもなります。楽しみになります!」と。

いつまでできることなのかわかりません
織手さんのうたと
染手さんのうたと
わたしたちの願いのような岩泉や地方の美しい自然へのうたが続いてはじめて
奏で合い(愛)の【色葉うた】や【織り織りのうた】は続くものとなります。

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仲介 tomoko hayano

気持ちいいなぁ〜(河童より)


先日の方は「猫ちゃんもごろりん♪」と。
今月は「わたしの代わりに河童くん」川かと間違えちゃったよう〜♪ かな(笑)
岩手は遠野には河童の伝説がたくさんありますね。語りべさんに、古民家で語っていただいた日を思い出します。

こうして
あたたかなメッセージやお写真をありがとうございます。
織手さんのうたの弾みに、
そして、掲載することで、またどなたか誰かへ繋がる響きのきっかけとなりますように♪

ご許可をいただきましたので、写真と文書を掲載させていただきます。

ーーー
10月1日に「海」が届きました!

大好きな青を基調にしたとてもステキなマットに感動しています。
「泡波のささやき」という命名もとても気に入りました!

織ってくださった三浦さん、命名してくださった早野さん、
ありがとうございました。

介護していた両親を見送り、3年前から通い始めた
ストレッチやヨガの教室がコロナ禍で閉鎖になってしまい、
それを機に、4月から毎朝の日課になった私の「朝活」(*^^*)

毎朝、6時前に起きて、さわやかな気分で動き、
今日まで一日も欠かすことなく続いています。

マットはそんな自分自身へのご褒美として購入しました。

実際に使ってみると、岩手の海と風景が目に浮かび、
海に抱かれているような気分になりました。

肌触りも良くて、心が癒されます。

今まで以上に、毎日の「朝活」が楽しみになりました。
本当にありがとうございました。

私の代わりに「河童」を乗せた写真を添付しておきます。

今までTPE素材のマットを使っていましたが、
実際に「海」を使ってみると、心身の心地良さを実感しています。

あらためまして、このたびは本当にありがとうございました。

——-


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「古Tシャツございませんか?」美マットでになって歌います。


このコロナの6ヶ月間で35本ものマットを織られています。
これまでの3倍です、織手さん「はあ〜たのしいやら忙しいやら…がんばっぺしっ!」

お家の中の安らぎ場に、
自分の場所に、
赤ちゃんの遊び場に
ストレッチも家ではビニールマットは敷きたくなくて…
とご注文をいただきます。ありがとうございます。
日々のうたをマットの上で奏でてください♪

また、古布の寄付も徐々に再び増えて参りました。
でも、まだ、ブルーやピンク、きれいな色のTシャツが少ないそうです。
もし、みなさまの着古したTシャツで、
廃棄をお考えでしたら、きれいなマットへの寄付はいかがでしょうか。
詳細はこちら

送っていただいたもので織ることも相談しながら範囲内で対応させていただいております。
ご自身の、子供の、母の古着を使って織ってくださいとの注文もいただいております。

10月1日に配送予定のものが届きました。
これから、裏地を縫い付ける工程に入ります。

わたしたちのコンセプト
9年間同じ想いでやっています。
・双方の寄り合いで地球に優しいエコの活動で生産と消費の循環が和となりますように
・双方に喜びと暮らしへの喜びがありますように
・頼るものを持ちませんように。その時は直ちに終わりにするときですね…
と。


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9年の歳月


その時あなたは何をするのか

久しぶりの来訪の7月。道のりの車中で思いました。

平成は大災害の時代でした。
雲仙・普賢岳の噴火にはじまり、北海道南西沖、阪神淡路大震災。
2000年に入ってからは定例のようにようにやってきましたー2004年新潟、2005年福岡、宮城、2008年岩手、そして2011年です。
令和はずっと台風攻撃です。まだ昨年のことですが、台風が豪雨が3つもありました。
うち一つは、ここ調布、狛江、多摩川市民も多摩川の氾濫か!と恐怖におののき、初めての避難所待機を経験しました。

8月に教室で「去年だっただんですね〜。あまりにも各地でいろいろあるから、(恐ろしい記憶だったのに)どっかいってしまいました。ああ、昨年だったんですね〜」
と。確かに、あまりに多くの人、土地の嘆きのニュースが頻繁でした。
そして今年は疫病です。
いつの時代にも疫病は突如、降るようにありました。
これまでは練習だったのかのように、最終章は目に見えないものへの恐怖を与えられています。
わたしたち一人ひとりに識別して選ぶことが担われたのです。

大きな実験で、人類への課題であったのかと、起こってから思う2011年3月11日の東日本大震災と大津波。

同じ過ちを繰り返してしまう性癖の自身を見ているようですが、いい加減「その時君は何をするのか」ということを、
思ったり、あとで論じてばかりいないで、都度都度で行動で示して行かなくてはと。

こうも繰り返す同じ過ちに、いい加減にピリオドを、と思います。

9年間同じ想いでやっています。
・双方の寄り合う気持ちによって生産と消費がなされて循環しますように
・双方に喜びと暮らしへの喜びがありますように
・頼るものを持ちませんように。その時は直ちに終わりにしましょう。

織手三浦さんも喜びをもって、またお世話、仲介のわたくしも楽しくやって参りました。
きっと、古布をくださる方も家は片付きハッピーが訪れたでしょう。
マットを購入くださった方も、待ってでも持つのか、ということを考えてくださったことでしょう。

客観的に見なくても、毎月岩手県の盛岡から、岩泉までの2.5時間の道のりを通うのはたいへんで無理があることだと思います。
しかし、それを感じないでやってこれたという実体験は、それだけ多くの学びがあったからなのでしょう。
無理があったとしても、それができた時期だったのです。時期やタイミングというのは人生の内でかすかなものです。
奇跡のような時間だったとったことを証明していると思っています。

迎える季節折々の山の緑や空気、水の音、鳥の声が、すっかりそうした疲労感を飛ばします。
さらに、自然とともに生きている土地の人々の言動には、都会で暮らすわたしたちと、頼っているものの18度異なる相違に、
良い、悪いというジャッジではなく、いろいろの面で「生きる」ということを学びました。

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賜物(たまもの)

み〜んな賜物です。

賜物とは「目上の方からのいただき物」のこと。また、「努力の成果」。

賜物の中にはその方の姿があります。

古布を使った布ぞうり

土地の樹木と水で染めたマット

虹グラデーション2枚
虹ランダム 2枚

メヘンディ調 甲あて

黄金の実り

どっしり団子と芋汁

豆から豆ができた

タラボウこと、タラの芽が岩手新聞に包まって届きました。

サワ胡桃はお散歩で拾う。昆布は天然おひさま干し。

努力の成果もまた賜物。

岩泉のお豆


岩手県岩泉町から
届きました。

我が家ではまさに主食の豆。
訪れると帰りは麹や海藻、お豆さんが共に帰宅(笑)

コロナゼロの岩手県
皆さんお元気に、変わらずの毎日をトントン タンタン…でしょうか。
お電話すると
織手さん、海の人、山の人、土地はとても元気だとか!
美しい水の青や山の緑に澄んだ空気は四季折々旬。
今は自粛で、静かで、自然の音だけが歌っていることでしょう……。

長い冬の開けを待ち春の訪れが楽しみだったけれど
しばし【織り織りのうた】の手織りマットで行く岩泉はイメージ訪問。

ーー
そう、届きました。

お豆、我が家といっしょにいかがでしょうか?
今年2月、3月収穫の採れたてで柔らかい豆。すぐに戻りますよ。(写真)
一晩水に潤かせば、茹で時間はほんの…。
茹でたてを塩もせずそのまま!サラダにも。もちろん料理にご利用ください。
私はもう、いつもそのまま。トリャンバカムヨーガセンターの会員様も大好き❤(ӦvӦ。)みたい。

こちらは茶豆。一晩水に潤して10分程茹でたもの。


みどりは 枝豆ですね😊
黒は定番
花豆も来ました。大きくて立派です。
欲しい方はご連絡お待ちしております。

黒豆たっぷり500グラム
岩手みどり 500グラム
花ささぎ 300グラム

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