『織り織りのうた』実体験合宿
2015/02/28 コメントを残す
行為のYOGA(カルマ・ヨーガ)合宿
織り織りのうた 実体験ツアー
企画中
G.W5月2〜4日(土・日・祝)
(詳細は近日別紙にて)
『スピンクラフト岩泉』染の叔母(工藤厚子氏)からこんな話を聞きました。
「どうしてこんなこと始めたっかってねぇ〜。近所では何の稼ぎにもならないって思われたでしょうね。父を安心させたかったぁ。それだけ。ここにヨメにきて、ちゃんと土地と生きているよ!って言えるようになりたかったの。どっかサラリーって稼ぎにいくんじゃなく。ここ(土地)にヨメに来たってね。」
「昔の女はみんな家族のことした。‘女技’(おんなわざ)って言ってね、紡ぎ、織り、打ち(蕎麦)。女が家のこと、衣食住をするのは当たりまえ。畑や家畜しながら家を護る。暮らせるのは畑あって、家畜あって。糸紡いで、編んだり織ったり、裁縫したりって、いつもしているわけ。
最初に草木染を教わったときは、きれいな色が出て「うわぁ〜」ってもうそれは魅力的でしたねぇ〜。「これだぁ」と思いましたよ。土地の樹木がこんなにね悦ばせてくれてね…。それまで女は家のことして茶色とかね…(笑)。色なんてぜんぜん ないんだから。」
ヨーガが説く道のひとつにカルマ・ヨーガがあります。行為のヨーガと訳されます。行為には必ず結果があります。たいてい結果の為に行為をします。結果というのは「我」があるからだとインドの人たちは考えました。「我」に結果にまったく執着しないのが無私の行為、無執着の行為です。行為の矛先は願いや祈りで、すべてが捧げられます、自分のものではないのです。
叔母まさにカルマ・ヨーギーニー(ヨーギニーとは女性のヨーギー)。「私をここへヨメにだした父を安心させたい。」という一心の想いからです。また。「ここにヨメにきた。ここで生きているよ」土地を活かすことを考えた言葉です。暮らす土地の繁栄の欠片(かけら)として居ることが土地に来たヨメ。このような心が郷土の風土というものを産み育まれてきたのでしょう。