織り織りレター

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り織りのうた』の
織り合い(愛)は
冬でも元気にうたいます。

「織りあがったよ〜」

「とどいたよ〜」

冬季閉鎖期間
盛岡〜岩泉間の道路凍結で1月〜4月は訪問ができず
工房から直接注文の方へマットが届きます。

織り上がったマットをいつも運ぶわたくしは
作品を見せていただけるだけで 元気 をいただいていたのだと、
織りを続ける姿勢に をいただいていたのだと知りました。

届いた方からのお手紙のお写真に
「うわぁ〜」
写真を指で触れて眺めるわたくしの内にも
り織りのうた』は響きます。

お手紙。
ありがとうございました。

3月1日便 配送されました☆彡

20160301便鳥澤さま

2月15日ご配送便の予定でした。
お待ちいただいた静岡県駿東郡清水町伏見のT.Jさま。あたたかい
心広きメッセージ

「昨日マットに触れることができました。
丁寧で細かい作業、触れると感じる温かみ、大好きなグリーンを基調とした山のデザイン…
とても気に入っています。
箱の中には、ご迷惑をおかけして、、、とのお手紙と昆布まで同封して頂きました。
もともと納期は前後するとのことでしたので、のんびり待つことができましたし、迷惑だなんてとんでもないことです。」

と。ありがとうございます。
また、ヨーガを始められカラダの内外で変化があり、これからも楽しみたいとのことでした。
是非続けられてください。

※写真のマットは送付したものではありません。
この時期は雪道で工房に織り上がったマットを取りにゆけませんので、
織手さんより直接T.Jさんへ届けられました。
お写真がとどいたらまたUPしたいと思います。

2月は年明けから織り手さんの周囲にお別れごとが重なって続きました。
「織りの手が少しだけとまってしまうのよ」と。
しかしこのマットをきっかけに
「織りをしてやっぱり楽しい!大丈夫回復だよ〜」と仰られていました。

この年明けは家族全員集合!孫も全員お集まりだったそう。
この日をどんなに夢見たか!と。

あっという間にも十数年経過したようにも感じた仮設住宅での5年
踏ん張りから開放され、安堵と共にちょっと疲れがでたのかなぁ〜と…
これまでなーんにもご自身の状態など省みることもしないで突っ走って
母の踏ん張りを続けてこられた織り手さんからのことば。少し気になります。

これは仮説に長く暮らされていた多くの方を象徴することばだと感じます。

3月11日が来る。

NHK貸出商品
3月11日が来る。丸5年。
NHKで『織り織りのうた』の商品を紹介したいとご依頼があり、お送りした商品。
8日と、11〜13日に紹介されるようです。

燦々たる現状と壮絶たるも偉大な自然界を前に竚んだ日。
袰綿の叔母が被災から10日経って向う私たちに云ったんです。
「しっかり見て来なさい。自然の大きさっちゅうのをしっかり見て焼き付けてきなさい。」

強烈な印象は過去のことではないと
「過去」は存在しないとヨーガ道に学んだ言葉が再び聴こえてきます。

被災地復興という旗を掲げたようにして社会や経済は世界を目まぐるしく廻しました。渦中にすっぽり飲み込まれた私たち人々や被災者は抵抗する気力すらなかったんだもの。傷ついて、心弱くして縋(すが)るものを求めていたのだもの。

うごめきの5年はわたしたちに大きく影響しました。与えられることをするべきことだと思い込んで……しかしそれは今なお一層、渦は大きく大河のようになっていると感じてなりません。
大きな流れ程小さな変化に気づきにくくなります。安定していると思い込んでしまうから。

嗚呼…

震災をきっかけに『織り織りのうた』はわたしたち夫婦の生活に木霊しました。
思うままに被災地に飛んだのは、東北三陸の無残な傷は地球の傷のような気がしたから。
また、細胞ひとつひとつの傷のような気もしました。
ひとりひとりの大きな傷のようで、ただ見ていることはできませんでした。

行動の支えになった力は、はっきり断言できる。
主人の勢いと、ヨーガ教室。トリャンバカム・ヨーガ・センター会員の皆さまの存在は大きなものでした。
そして支えられていたから気付くゆとりがあったのでしょう。「生きること」への再認識と、生き様をありありと経験せざるを得なくなった実体験の日々。
経験から起きる強烈な教示は毎日の内に何個も。次々におこるので、記憶できない範囲で飽和上体。たいへんな勢いで刻まれていく印象。
教えや教示だけでしかなかったヨーガの知識と夢中で向き合い救いをもとめたけれど、与えられる応答は実践しなさいといわれているような現場。まさに試される修羅場。実際のそれはもう範疇を超えて知識や知恵では治まらず…祈りとなっていきました。

そして5年ー。

織り手さん。
震災で力を落とす家族、迫る老い、先祖への詫び、それでも力を失うことなく、愚痴ってもそれを飲み力とし黙黙とトントンと織りをしました。
被災の土地を離れず新居をたてることに至った支えになったのは『織り織りのうた』でした。それはつまり全国から物資や古布を送って支援してくださる皆さまや、マットを購入してくださる皆さまです。

織り手さんの黙黙たる日々の姿勢はさらに意識を高めてくださいました。
被災者のみならず、見渡せば多くの方がそうでした。

高まったのは真実を理解し合いたいという互いを想いやる人々のあり方。ぼんやりと、ぼやぼやとしてものではダメで、互いを思いやった時に自然発生する誠実な行動はひとりひとりが実際に感じなくは変わらないと強く焦りのように感じました。
しかし、私自身はそれまで誠実とはいえる生き方をしてこなかったので、不慣れで手順を知らぬ不器用な手仕事のようにひとつひとつ時間がかかる作業になりました。そして今日にいたっても、刻まれた祈りをわすれず、誠実に生きたいと思い続け、時間のかかるひとつひとつと向き合っています。

都市と雑多の内に暮らすわたしたちが迷妄するのは経済や社会が不透明だからだけではなくて、
個人個人が、思い込んで染み込んでいる思考の癖に気づいていないこと。
思考の方向癖をみつめるにはヨーガが一番の手段です。

そう
過去は存在しません。強烈に感じたひとりひとりが感じた真実。不安との向き合いを過去にしてはいけません。
過去を流すのは、小さなささった棘をぬかずにいて、小さいけれどずっと気になるのと同じ。

危機感も、進むように見える工事で緩和されたような気持ちに、未来計画を見せられ安心させられたように感じますが……どうなのでしょう?

今では立派な建物や店ができたと言って本当にそれは喜ばしいものなのか。働く場所ができたと、足元の役割を放ったらかし、ご先祖代々悦ばれておられるのか。

情報ツールが充実した、道路が広くきれいになったけれど、それは永遠のもの?莫大な費用はどこから?繰り返される工事が必要なことをわかっていて、それでも今日も掘り返す。

今に生きているのに頼ってはいませんか?これはわたくし自身も日々問うことです。
経験していることを当たり前だと軽くみてはいけませんという言葉があります。どんなささいだと感じる経験も…立ち還ることができるきっかけとして与えられたのですからと。

  『織り織りのうた』プロジェクト早野智子