その時あなたは何をするのか
久しぶりの来訪の7月。道のりの車中で思いました。
平成は大災害の時代でした。
雲仙・普賢岳の噴火にはじまり、北海道南西沖、阪神淡路大震災。
2000年に入ってからは定例のようにようにやってきましたー2004年新潟、2005年福岡、宮城、2008年岩手、そして2011年です。
令和はずっと台風攻撃です。まだ昨年のことですが、台風が豪雨が3つもありました。
うち一つは、ここ調布、狛江、多摩川市民も多摩川の氾濫か!と恐怖におののき、初めての避難所待機を経験しました。
8月に教室で「去年だっただんですね〜。あまりにも各地でいろいろあるから、(恐ろしい記憶だったのに)どっかいってしまいました。ああ、昨年だったんですね〜」
と。確かに、あまりに多くの人、土地の嘆きのニュースが頻繁でした。
そして今年は疫病です。
いつの時代にも疫病は突如、降るようにありました。
これまでは練習だったのかのように、最終章は目に見えないものへの恐怖を与えられています。
わたしたち一人ひとりに識別して選ぶことが担われたのです。
大きな実験で、人類への課題であったのかと、起こってから思う2011年3月11日の東日本大震災と大津波。
同じ過ちを繰り返してしまう性癖の自身を見ているようですが、いい加減「その時君は何をするのか」ということを、
思ったり、あとで論じてばかりいないで、都度都度で行動で示して行かなくてはと。
こうも繰り返す同じ過ちに、いい加減にピリオドを、と思います。
9年間同じ想いでやっています。
・双方の寄り合う気持ちによって生産と消費がなされて循環しますように
・双方に喜びと暮らしへの喜びがありますように
・頼るものを持ちませんように。その時は直ちに終わりにしましょう。
織手三浦さんも喜びをもって、またお世話、仲介のわたくしも楽しくやって参りました。
きっと、古布をくださる方も家は片付きハッピーが訪れたでしょう。
マットを購入くださった方も、待ってでも持つのか、ということを考えてくださったことでしょう。
客観的に見なくても、毎月岩手県の盛岡から、岩泉までの2.5時間の道のりを通うのはたいへんで無理があることだと思います。
しかし、それを感じないでやってこれたという実体験は、それだけ多くの学びがあったからなのでしょう。
無理があったとしても、それができた時期だったのです。時期やタイミングというのは人生の内でかすかなものです。
奇跡のような時間だったとったことを証明していると思っています。
迎える季節折々の山の緑や空気、水の音、鳥の声が、すっかりそうした疲労感を飛ばします。
さらに、自然とともに生きている土地の人々の言動には、都会で暮らすわたしたちと、頼っているものの18度異なる相違に、
良い、悪いというジャッジではなく、いろいろの面で「生きる」ということを学びました。
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